与太話

ヒルクライムはダイエットに似ている

最近、坂がある方が楽しくなってきた。スポーツバイクに乗り始めの頃は平たんを走るのが楽しくて坂はなるべく走りたくないと思っていた。

坂を登るのは楽しいのか

しかし、最近はそれも随分変わって、平坦だけだと飽きてしまうため、ルート全体を見てある程度は坂があった方が楽しいと思うようになった。決して坂自体が好きな訳ではないと思いたい。

それにしても、この心境の変化は何なのだろうか。

坂の楽しさはいつ何に対して感じるのか

坂を登るのは、ロングライドをしたいという大きな目的があり、そのためには峠を越えていかなくてはならない場面が恐らくたくさんでてくることが想像できた。

東京スタートでロングライドをするとなると、いつかは西方向に進路を取ることが出てくるだろう。・・・箱根の山越えが頭の片隅に思い浮かんでいた。

坂の苦手意識と当初の目的

初めてイベントで奥多摩を走った時、周りの参加者がスイスイと坂を登っていき、私は悔しくも情けなくも思いながら何度も足を着いた。歩くこと自体が嫌いで登山なんて考えたくもない私にとって、更に過酷そうな自転車で1時間以上もの長い時間を登り続けることなど到底想像はできなかったし、登れるようになる自信も全くなかった。

奥多摩頂上で

しかし、富士ヒルクライムは参加者の99%が完走すると聞く。であれば、参加した場合は自分もその99%に含まれる可能性が高いと考えるのが当然で少しトレーニングすれば平均的な登坂能力は身に付くはずだ。

速く無くても、何度か足を着いたとしても、リタイヤというロングライド時の大きな妨げにならないだけの能力がつけば良い。

目標を定め、もともと全く登れなかった坂をわざわざ練習しにいってまでして、徐々に登り方のスキルや体力をつけて行き、坂に対しての苦手意識を無くしていくようにしていった。

坂の楽しさは、景色や空気、食欲が満たされた時か?

坂の楽しさは、絶景を見ることや達成感という声を良く聴く。また、峠を登った後の絶品グルメのために頑張れるなど・・・

確かに渋峠や乗鞍といった場所の写真を見ると憧れて、私もあの場所に行ってみたい!と興味を惹かれる。いつか行ってみたい。

また、行ったことのない近くの峠に出向いて行くのは、ドラクエでダンジョンの宝箱を全て開けて回るような達成感を感じることもある。

ヤビツはバス停が好きなんだな

しかし、それと近くのヤビツ峠を登ることは全く別のことで、まだ未開の峠に登るのと同じ類の体験を求めている訳ではない。

分かってるよ、トレーニングでしょ?と言われると、それも微妙に違う。トレーニングのためだけにわざわざ往復数千円もかけてヤビツ峠まで行ったりはしない。

では何なのか。それは登る度に変化を発見し、そのこと自体に明らかに楽しさを感じているのだ。快感ともいえる。・・・そしてそれは明らかに達成感などとは違う。

登り切って「やったー!」と声を上げるが、達成感や爽快感などの快感とは明らかに異質なジワジワと生ぬるい物がこめかみ辺りに膨らんでくる鈍い快感なのである。

ではその感覚の正体は何なのだろうか。

人生で殆ど体験することができない鈍い快感

生ぬるい快感の正体は何なのか。きっとそれは行くたびに発見があり、それを試すことによって毎回結果が出ていることによる快感なのだと思う。

記録が更新されたことではない、思った通りにことが進む快感

それって毎日やっている筋トレが効果が坂の記録更新によって分かるってことでしょ?

それって坂を登ることに慣れて、スタミナ面でも余裕がでてきたってことでしょ?

多分、それも半分正解で半分不正解だと思う。自己の成長による満足感や快感とも違う。

この快感の正体は、筋トレや登りのテクニックなど吸収したことにより仮説を建て実際に坂で検証し結果が出た時の「思った通りにことが進む」ということに感じる快感なのだ。

筑波の山は急だった

私の場合、優越感に近いような感覚だが対象が他者ではないため、外に向かって発散することができず内側で生ぬるく熱を持って永くとどまるのだ。

思った通りにことが進むことで感じる快感という概念

この快感の概念はなかなか一般的ではないかと思う。達成感、爽快感、満足感、優越感などの言葉になっていないことでも分かる。

何で一般的な感覚ではないのか

なぜこの感覚は一般的ではないのか。それは人が生きる上で自分の思った通りにことが進むなんてことは殆ど無いからだそうだ。

自分の人生において振り返ってみると、不満こそ無いが思い通りになったことなど本当に1度も無かったのではないかと思う。

周囲の人においても、自分の思い通りにことが進んだ経験をした人なんていうのは殆ど居ないのではないだろうか。

キャンプ場の入り口にある激坂

だから、この感覚は一般的なものではない。一般的にこの快感が定義されて語られることは殆どないのでは無いかと思う。

では、この感覚は一体どんな時に会話に上がったのか。・・・それがダイエットである。

ダイエットは最も簡単に自分の意思で思い通りにできる数少ない行為の一つ

昔、ダイエットの話題の時にこの快感について聞いたことがあった。それ以外では実生活では聞いたことが無い。

ダイエットは自身のコンプレックスから、痩せたいと思い始めるものだが、他者が居ないため全て自己完結する行動だ。そして、当たり前だが特に10代20代の頃はダイエットの効果が出やすく、やればやるだけ効果がでる。

最初は痩せて綺麗になりたい。かわいくなりたい。という願望(目的)があるのだろう。そして、効果が表れると喜びと快感に変わる。

勿論全ての人ではなく一部の人だと思うが、この時の快感が綺麗になる・かわいくなるという喜びでからではなく、実はダイエットへの取り組みが結果として表れたことで、思い通りにコントロールできたことによる快感なのだそうだ。征服欲みたいな物かもしれない。

そして、更に続けるとダイエットというより、痩せる行為に対して最も効果的な行動が「食べない」ということが分かってくるようになり、新たな喜び(快感)を得るために食べなくなり一気に体重が落ちていく。

ダイエットの場合、始めるキッカケがコンプレックスなため、ある種の強迫観念が原動力の一部になっているため、既にダイエットとしては目的が達成されていたとしても更に続きを求めてしまう。

自分の体を思いのままにコントロールできているという快感。体はきつくてもそんな概念があることを理解していないから辞められない。これが拒食症の原因になる場合があるのだそうだ。

登った先に見えるものはなんだろう

特に医学に携わる人でもなく、一つの概念の話として人づてに聞いた内容のため実際にどの程度、信憑性のある例なのかも分からず、またダイエットはシリアスな問題でもあるため軽い気持ちで囃し立てられる話題ではない。

 

坂がとにかく嫌いという人は、坂を登る体験を通じてきっと思い通りに行くことが殆ど無いのかも知れないなと、ふと通勤中に頭をよぎった。

重ねて書くが、この話は信憑性の無い話なので、あくまで与太話として流してほしい。

 

-与太話
-